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東京地方裁判所 昭和41年(レ)338号 判決

控訴人 水野三喜男

右訴訟代理人弁護士 真野稔

同 松井健二

被控訴人 神山てふ

右訴訟代理人弁護士 萩原四郎

同 宇津木浩

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

≪省略≫

理由

一、被控訴人が、昭和三二年一一月三〇日本件店舗を賃料一ヶ月二万円で控訴人に賃貸したことは当事者間に争いがない。

二、次に、≪証拠省略≫を総合すると、控訴人は、昭和三六年四月ごろ本件店舗の賃借権を訴外安田春吉に譲渡したことが認められる。≪証拠判断省略≫

そして、被控訴人が控訴人に対し、昭和三六年九月二五日到達の書面により、賃貸借契約解除の意思表示をしたことは当事者間に争いがなく、控訴人において、右賃借権譲渡について被控訴人の承諾があったこと、またはこれに代り解除権の発生を阻却するに足りる特段の事情のあることを主張立証しないから、被控訴人、控訴人間の本件店舗の賃貸借契約は昭和三六年九月二五日をもって解除により終了したというべきである。

三、ところで、控訴人は、被控訴人が右解除の意思表示をした後控訴人の供託した賃料について供託受諾の意思表示をして供託金の還付を受け、これにより解除の意思表示を撤回したと主張するので、この点について検討する。

控訴人が昭和三六年八月分以降昭和四〇年五月分までの賃料を東京法務局または同法務局台東出張所に供託したこと、被控訴人がこのうち昭和三六年九月分以降の分について順次供託金の還付を受けたことは当事者間に争いがなく、原審における被控訴人本人尋問の結果(第二回)によれば、控訴人はその後も賃料の供託をし、被控訴人は、昭和四〇年九月までの分について供託金の還付を受けたことが認められる。

一般に、解除権を有する者が契約解除の意思表示をした以上、これを撤回することができないことは民法五四〇条二項の明定するところである(法文には「取消」とあるが、これは撤回を意味し、無能力や詐欺強迫を理由とする取消を含まないものと解すべきである)。しかしながら、右条項の趣旨は、解除の意思表示によって新たな法律関係が生ずる(すなわち、契約が遡及的に消滅して原状回復請求権、損害賠償請求権などが発生し、また賃貸借など継続的契約にあっては、契約関係が将来にむかって消滅し、目的物返還請求権を中心とする契約終了に伴う種々の法律関係が生ずる)から、これを任意に撤回することを許すと相手方および第三者に不当な不利益を蒙むらせるおそれがあるからである。したがって、撤回によって権利を害される第三者がなく、撤回につき相手方がこれを承諾したときまたは相手方に右のような不利益を蒙むらせるおそれがないときもしくは相手方が撤回を欲する事情にあるときには、解除の意思表示の撤回は許されると解するのが相当である。そして、本件の場合、相手方である控訴人は当初から被控訴人のした解除の意思表示の効力を争っていること弁論の全趣旨によって明らかであるから、右意思表示の撤回を欲する事情にあったというべきであるし、また右撤回によって権利を害される第三者が存在しないことは弁論の全趣旨によって明らかであるから、民法五四〇条二項の規定にもかかわらず、賃貸借契約解除の意思表示の撤回は法律上許されるものと解する。

本件の場合、本件店舗の賃貸借契約が解除によって終了したのは昭和三六年九月二五日であることさきに認定したとおりであるから、被控訴人は控訴人に対し同日までの賃料請求権を有していたのであり、したがって、この部分につき被控訴人が供託金の還付を受けたことについて解除の意思表示の撤回を云々することができないことはいうまでもない。したがって問題は、被控訴人が右同日以降の分について供託金の還付を受けたことがさきにした賃貸借契約解除の意思表示の撤回と認められるかどうかにある。なるほど、一般に賃貸借契約の解除の効力の有無につき契約当事者間に争いがあり、賃貸借契約が依然として存続していると主張する賃借人が賃貸借契約が解除によって終了したとされる時点以降の賃料として適法に供託した金員について、賃貸人が適法にその還付を受けときは、特段の事情のないかぎり、賃借人の主張する賃料債権の存在を承認したものすなわちさきにした賃貸借契約解除の意思表示を撤回したものと解するのが相当であるが、本件の場合、原審における被控訴人本人尋問の結果(第二回)によれば、被控訴人は、賃貸借契約終了後は控訴人に対し賃料相当額の損害金の支払いを請求できるものと考え、右損害金として受領する意思で供託金の還付を受けたものであることが認められるし、また、被控訴人は依然として本訴において、さきにした本件店舗の賃貸借契約解除は有効であるとの主張を維持していること弁論の全趣旨に照らして明らかであるから、被控訴人が供託金の還付を受けたからといって賃貸借契約解除の意思表示を撤回したものと解することはできない。

したがって、控訴人の抗弁は理由がない。

四、以上の次第で、控訴人は被控訴人に対し、本件店舗を明渡す義務があり、また、昭和四〇年一〇月一日以降右明渡ずみに至るまで賃料相当額の損害金として一ヶ月二万円の割合による金員を支払う義務がある。したがって、被控訴人の本訴請求は右の限度で理由があるから原判決は相当であり、控訴人の本件控訴は理由がないので、民事訴訟法三八四条によりこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき同法九五条、八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 安藤覚 裁判官 森川憲明 魚住庸夫)

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